国語
家庭教師
中学受験から東京大学など最難関国公立にまで対応可能。論理的で難解な文章を扱う大学、特に60字以上の記述を課す大学、私立高校、私立中学を目指す生徒向け。指導方法は受験校によって異なるが大きく以下の3点。
1.論理的で難解な文章、設問を正面から読める、解けるようになる手伝いをすること。いってしまえば私立大学の中には設問に疑念が残るものもあるのでそういった問題は、扱わず(小手先のテクニックになってしまうので、そういった設問への対策は最後にした方がよい)論理的だが難解で読み取りづらい良質な文章を一つずつ紐解いていきます。(生徒様が文章またその題材は用意していただいてもよいですが、こちらから推薦することもできます)だから、しかし、などのいわゆる語学的根拠や、文章の内容、すなわち内容根拠を手掛かりにしながら森も木も見る形で一緒に文章を読んでいきましょう。
2.1.で読解した内容を正確に文章にする力を養うこと。文章が読めた!と思っても論述式の試験ではそれらを正確なことばで表現できなくては、残念なことに評価してもらえません。しかし、他者の解答を見るに、多くが内容の切り貼りであったり、わかっているのかわかっていないのかはっきりしない文章であったりします。見る人が見ればきちんとかけている(前提として読めている)文章かどうかというのは恐ろしいくらいわかります。その中で、評価される側に回るためにはどうすればよいのか、添削、対話を通じて生徒様自身の日本語の癖や陥りがちな論理の飛躍をひとつずつ指摘、訂正していきます。地道な作業ではありますが、なぜそういった表現ではだめなのか、そういった思考方法ではだめなのか、といったことを納得していただくまで教えますので、単純記憶と違って積み立て式に頭に正しい表現、思考の仕方が残るかと思います。
3.自身の見聞を広げられるような読書の手引きをすること、また本文中に出てきたあるキーワード、分野に対してさらなる洞察を与えること。1.2.では文章を読むこと、また読解したことを読み手に伝わるように適切な言葉で表現すること、を指導すると述べましたが、これらを他科目、ひいては受験の枠を超えて生かすにはこの3の作業が不可欠です。胡散臭いと思います。私もそう思います。国語はすべての科目の基盤だとよく国語の先生は言うけど具体的なことは教えてくれないし、私自身、ある程度文章を読め、書けるのであれば別に基盤のための国語学習はしなくてよいと思っています。それならばなぜ国語学習(読書含む)をするのか。それは世界の解像度が高まるからです。良書を読むことで世界をより広い視野でみることができるようになることは、文章に深みが出るようになるうえ、何より受験期で参りがちなメンタル面を支えてくれます。自分より頑張っている人がいるから頑張ろうと思えるようになるのもその一種でありますが、自分の興味のある分野を広げることで一種のゲームとして受験をとらえられるようになります。こういった聞き方をしてくるのか、出題者はどういった感性をしているのだろう、なんて思い始めたら受験は楽勝です。机に向かう自分だけに縛られない、楽しい受験をおくりましょう。
依然として胡散臭さは抜けなかったので、3が気味悪い方は12を重点的に指導しますので安心してください。何はともあれ長文になりましたが、私がどのように受験国語をとらえ、また生徒様とどのようにそれらを乗り越えていこうと考えているのか、理解していただけたのではないかと思います。金額の高さは以上に(特に3や過去問研究)述べた事前準備や添削を含めたゆえの値段でもあります。以下の小論文に関する指導方法についても一読していただければ幸いです。